清志郎さんはフジオのことを兄貴と言ってフジオを立てていた。ある時私が清志郎の歌はフジオに似ているねと言うと日本語をロックにすると似るのは仕方ないのだと言っていました。葬儀には行きたいようだったがーーーー体調がねーーー清志郎さんとは仲もよかったしマネジャーさんにもお世話になったようです。残念だが仕方ない。
クロコのDVDはやはり素晴らし出来映え見ていたら涙が出てきました。よくぞここまでやれたなあ
まさに実感!
フジオに関わりたくさんの人に出会いました。賛同して多くの人が温かいお金や品物そして心をおくってくれました。ありがとう!フジオの闘病はまだ続きますがひとまず支える会は潮時かとおもいます。新しく寺田隆司のブログを立ち上げました。お付き合いください。http://60s-takashi.blogspot.com/
1 件のコメント:
やっぱりそうだったんだ
仕方ないね
勝手に冥福すればいいんじゃないの
これも正確な家具がつくれない
歴史を残したと思う
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